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「プログラミング的思考」で読み解く【朝会講話】~「聞く力」「伝える力」「斟酌力」~
2月全校朝会にて、校長講話で「クロカンコース紹介PR動画」をみせました。
(AppleTVを介してipadから操作、村役場YouTubeを再生。)
2分程の映像にジッと見つめる子どもたち。
視聴が終わって、感想をもとめました。
目線は会うが反応なし。無言の中、何か考えているような表情。
「教室で話題にして」と一旦保留。
そして、動画作成の経緯・意図を伝えました。
・みんながクロカンに取り組んでいることを多くの人に知ってもらいたい
・動画は役場の人の協力でつくった
・多くの人の支えがあって勉強ができることを知ってほしい
「卒業、進級にむけて自分のできることをしっかりやっていこう」と講話を締めました。
いつものように、頷く反応をみせる子。
そういう前向きな気持ちで毎日を過ごしていることが伝わってきました。
とはいえ、人間ですから、動画への反応がなかったことは、少し寂しい気持ちになりました。
ここからドラマが生まれます。
その後、担任から、子どもの声のフィードバックが届いたのです。
Aさん
「スノーモービルの映像が自分がのっているみたいだった。スピードが速くて、ちょっとこわかった。クロスカントリーをやりたくなった。」
Bさん
「ドローンを使った映像が未来っぽい感じがしてすごかった。今すぐクロスカントリーをしたい気分になった。」
Cさん
「見終わった後にコースを作ってくれた人に「ありがとう」という気持ちになった。クロスカントリーをやりたくなった。」
Dさん
「クロスカントリーのコースを途中から高く撮ったり、低いところからとったりするのがすごかった。本格的だった。すごく広いコースで迷子になりそうだと思った。広いからついて行けるか心配。」
(きっと、何か考えている)、思った通りでした。
受け取った心の「反応」を、「言語化する」時間と働きかけが必要でした。
それは、毎日、授業を通して子どもたちに向き合い、親身に関わっている先生にしかできないのだと、改めて実感しました。
授業をする中で、表向きには反応がない子がいます。
しかし、何も考えていないわけではなく、どう言ったらいいのかを考えている、迷っているのです。
そのときは、言語化できないだけで、心では何かを感じているのです。
ですから、先生にとって、
「何か言いたそうな感じ」をうけとる感性が生命線だと思うのです。
それが、斟酌(しんしゃく)力です。
手のひらで水をすくうように、相手の意図をくみとることです。
かつて、子どものつぶやきを拾って授業を組み立てる先生がいました。
憧れましたが、それは名人芸だと思い、真似できないと諦めていました。
あるとき、
「小指が動いた子」を指名して逆転現象がおきた授業実践を知りました。
体に電気が走ったように、認知バイアス(思い込みの枠)が外れました。
つまり、新たな知の獲得(学習)により、
【できない】→【人にできて自分にできないわけがない、同じ人間なのだから。】
と、反応が変わったのです。
他者の意見を聞き、咀嚼して新たな考えを生み出す、これが「協働的な学び」の基本です。
意見が言えなくとも、子ども(人)は考えている。
「黙っている人の意見」に耳を傾けるところに、新たな発見が生まれます。
(数年前に「サイレント・マジョリティ」という曲がヒットしましたが、歌詞を紐解くと、学びが深いです。)
さて、今は、Aiドリルが普及、知識・理解に関する学習は1人で学べる環境が整ってきています。これはエラーを見つけるプログラムで動いています。間違ったところを自分でみつけて、やり直し、納得解を得る、それが学習の基本です。
そもそもは、
1950年代にスキナーは、一人一人の多様な学びとつなずきの状況に即応できる学習支援システムの構築を目指し、プログラム学習の考え方と、それを実装する教育機器としてのティーチング・マシンを開発した。(奈良正裕氏『教職研修2021,7月P.58』)
が元祖とされています。
これは、オペラント(能動的)条件づけの3つの原理に基づいています。
第1は、スモールステップ(学習過程を一つ一つ着実に進む)
第2は、外的反応(学習者の解答を外からみてわかる反応)
第3は、即時フィードバック(正誤をすぐにおしえる)
それが、機械は、磁気シートになり、コンピューター(CAI)に受け継がれ、現在はタブレットやスマートフォンのアプリへと発展を遂げました。基本構造は同じです。
あるAIドリルを全学年で試用した折、高学年クラスから感想フィードバックがありました。
1<基礎的な内容は復習できる。>
2<選択式、短答式がほとんどなので、思考力を育てることはできない。>
2はAIドリルの弱点です。
つまり、どのように思考力を育てていくかが、学校(先生)の腕の見せ所ということです。学校の存在意義は、AIにできないことをするということにあります。
もちろん、アプリの中にも思考力を育てるツールが開発されていますが、これらも使い方によってはじめて生きるものです。
最近はやりの「プログラミング教育」なるものが企業の戦略ツールとして商品化されています。山ほど教材案内が学校に届きます。子どもの興味をひくものですし、実際、やってみると面白いという実践もよくみます。
一点、注意が必要です。これまで、所謂「○○教育」という名前であまり実のないものがつくられる、すすめられることがあったということです。
大切なのは、「プログラミング的な思考」です。
それをすることによって、どんな思考を獲得できるか。
つまり、どんな内容であれ、原理・原則を踏まえて、
「どのように使うか」をわかっていること、使いこなす思考のプログラムを獲得することが、効果的な学習を組み立てる要点だということです。
この3つの原理を、朝会講話に当てはめてみます。
1 スモールステップ → 動画視聴
2 外的反応 → 感想をもとめた(反応なし)
3 即時フィードバック → 担任の聞き取りで言語化
理にかなっていることを発見しました。これがプログラミング的な思考です。
(スモールステップの入力で、情報量が多すぎたという反省はあります。それは次に生かします。)
また、この過程で培われる力は、
1は「聞く力」、3は「伝える力」です。
2は「斟酌力」と言えるでしょう。
加えて、フィードバックをもらって、
【寂しかった気持ち】が、【嬉しい気持ち】に変わりました。
これも「感想」という入力による外的反応です。
嬉しい気持ちが大きくなって、反応があったクラスに行き、「ありがとう」と伝えました。(フィードバックへのフィードバック)
今日の学びを生かすために、
ー思いや考えは「言葉」にしてこそ「相手に伝わる」ー
ことを肝に、子どもに響くように声をかけていきます。
今日のブログがよかったら、「反応」をお待ちしています。
自己フィードバックが一番ですが、周囲の人に伝えることも自分を支える力になります。